私の生きた道、出会った人達

20と数年という短い期間ですが、職業柄たくさんの人と出会ってきました。高校留年、退学だったのか、はたまたもっと前から人生の分岐点はあったのかもしれません。そこから夜の世界に飛び出してみたり、高卒認定をとって大学に入ってみたり…今や社会人として世の歯車になっています。私がいつどこでどんな人と出会ってきたのか。何を得たのか、学んだのか…少しでも参考になればとここに拙い文章ですが残していきます。

どういう死に方をしたい?

某動物系癒し番組のパーソナリティ(?)の死に感化されたわけではなく…
常日頃から飲みに行くと「どういう死に方をしたいか」という話題を友人にふっかける(犠牲者達よごめん)


私は愛する人に一思いに殺され、そのあと喪失感、
悲愴感から私以外のことは何も考えられなくなるような死に方をしたい。よく分からないと思うが、誰かに誰か一人にでも印象に残る死に方をしたい。


私は人生を謳歌するために生きてきたとは思えない。死に際が美しくあれるように生きてきたつもりなんだ。

ただ、こういう話をすれば厨二くさいだのガキ臭いだのなんだのバカにされる。
うちの母親に至っては未だに私を5歳児扱いしているため、何を話しても流される。


どうやら親にとって子は永遠に子どものようだ。
にしても、5歳児扱いは癇に障るものがある。


「あんたは人の価値観を受け入れないよね。話も聞かないし。賢いつもりで全てわかってるつもりでいるのかもしれないけど。」
これはこの前の母のセリフだ。
それはどちらかよく考えて欲しいもんだ。少なくとも貴方の考え方は24年間納得はしないが理解していこうと頑張ってきたつもりだ。
それに比較し貴方は私がなにか話す度「でもさあ…」と否定から入ってきたではないか。話を最後まで聞く努力はしてくれ。


死に方から話は逸れて親族への、肉親への嫌味になってしまった。どうしようか。
死んだら多方面に迷惑をかけるから生きている。私が生きる理由はそれくらいだけれども、その責務が無くなったらどう死のうか。