この世に生まれてきた瞬間から何かを罪を抱えて、その贖罪のために生きている。私はそう考えている。
否、産まれる前から母体に負担をかけており、両親や親戚、はたまた職場の人からの期待や不安を背負ってきているからその前からか。
ここ最近気がついたのが「人から優しくされると嬉しいが苦しい。人から軽蔑されると悲しいが楽になる。」という自分の気質だ。友人等と接している時はそうは思わない。褒められたり優しくされたりすると本当に私は恵まれた人間なんだと思う(錯覚する)。
ただ、自分が今までしてきた行いを含めて、本当に優しくされて良いべきなのか考える時がある。今は1人でいる時間が長い所為もあるのかもしれない。自分の人生や元々持っている気質に目を向けることが、今後生きていくために必要だと感じてからこの思考から抜け出せない。
自己覚知することが大切な時期なのは分かっているが、自分を知ろうとすれば知ろうとするほど「なぜこの世に生み落とされてしまったのか」と言う結論になる。自己肯定感を高めたり、他人に目を向けられるようになるためにこの作業を始めたのに…これでは本末転倒である。
酔っ払っているせいもあり、ここまで何を書いているのかさっぱりだと思うが、私が休職している間に踏みたかった手順を書いていくと
①今の体調や心境を整理する。
②自分はどのような時にどのような思考に陥りやすいか考察する。
③まずは自分のメンタルを状況に合わせて管理できるようにする。
④他人と接する時も私情を持ち込まず、中立の立場でいられるよう仕事をする。
ということになる。
さて、振り返ってみるとどうか。①の状況で踏みとどまっていないか?自分の状況を整理しようとすればするほど自己嫌悪に陥ってないか?まさに負のスパイラルにのまれてる最中である。
そもそも産まれてきたことに罪を感じているのだから…この先数十年(もあるのか?)の人生がただの贖罪としてしか意味を成さないことになる。
「今死にてぇ奴いる?」に書いた通り自害を選ぶつもりは今のところない。だってその方が迷惑だからね。最初から私の存在がなかったことにも出来ないし…今は交通事故や通り魔のせいで命を落として「あの子は明るくていい子だったんです」とテレビで報道されるのが最善手なのかなとかぼんやりと風呂場で考えている。
考えすぎて溺死するなよ、私。
最後に有名なアンパンマンマーチを転載する
「そうだうれしいんだ 生きる喜び たとえ胸のキズが傷んでも」
早くこの境地に達したい。